はこべらほとけのざ

3回くらい記事書いたら満足して放置すると思います。

最大のボリュームで愛に 4/7

運命って名前をつけてあげよう


社会人になりました。2ヶ月しか一緒にならないのをいいことに同期と仲良くしようみたいな行動は一切取らず、研修地の近くのランチを片っ端から巡って一人で完結することが最近の楽しみ。


明日から研修と称して山奥の未開の地みたいなところ(誇張表現)に誘拐されます。こんな研修があるならここに就職しなければ良かったとすら思う。


思えば「合宿」という催しが嫌いだった。
唯一その名を冠していて楽しかったのは友人で行った免許合宿くらいのもので、その他のありとあらゆる「合宿」は本当に苦痛だった気がする。


合宿って、要は目的があるわけで、やれ「親睦を深める」とか「何かを集中的に学ぶ」とかそういう目的のために集団で宿泊したりするわけだけど、そもそもそういうのが嫌で、遠出して宿泊する行為っていうのは、それが目的であって欲しいと思うわけです。皆で遠くまで行ったらゴールなわけ。遠くまで行ってじゃあ勉強するぞ~って何?近場でやればいいだろ。バカか?


ゆとり国生まれゆとり県育ちゆとり学校卒業としては、仕事以外の時間は自由にいたいわけで、あらゆる人間とのストレスは廃したいと思うから、仲良くない人間と一宿一飯を共にするって行為からそもそも嫌なわけで、一宿一飯を共にして一生のダチ!みたいなノリも勘弁して欲しい。


既に一生のダチだった人としか一宿一飯を共にしたくないし、仕事が終わったらPCの前で独り言をブツブツ言いながらゲームしたりしたいわけ。
対して仲良くもないし仲良くなりたくもない人間と一日中一緒っていうのは、そりゃ顔面とスタイルに自信があって、クラスの中でワイワイする輪の中にずっと入れた経験があって、自分がよく聞く音楽とか趣味が「一般大衆のもの」の括りに入れられて貰えてると信じ切ってる人からすればなんでもないんでしょうけど、こんな文章を書いたり、Twitterアカウントは取り敢えず鍵付けたり、他人にスマホのブックマークとアルバムは絶対見せたくないような人間からすると、常に越境行為の危機に晒されてるようなもんなので、もう勘弁して欲しいわけです。


まあ要は仕事とプライベートの区別を曖昧にされるような仕事が嫌って話なんだけど、
伝統とか社会人のルールとかPDCAサイクルとかそういう響きだけは1人前のプライバシー侵害概念の一族達が看板を持って自覚を持てと脅してくるわけで、
手元に一生遊べるだけの富と好きなことで生きようとする度胸のない自分としては、今から合宿なんて概念歴史から消えないかなあ、と自室で思いを馳せるわけです。


今から選挙に行きます。この世からあらゆる合宿という行為を条例で禁止にしますってマニフェストを掲げる人がいればいいのにな。